危険な国債の大量発行は過去には紙切れになってしまったことも

 

(1)“預金が引き出せない” 終戦翌年の衝撃

兵庫県芦屋市に住む林直道(はやし・なおみち)さん、91歳です。

預金封鎖を経験 林直道さん(91)
「これは『ニコニコ貯金通帳』と言いまして…。」

林さんが今も保管している70年前の通帳。
表紙には「封鎖」の印が…。

預金封鎖を経験 林直道さん(91)
「“預金封鎖する”なんて言われたら、びっくり仰天しますよ。
貯めて貯めてしたお金が使えない、これは本当につらい。」

昭和21年2月16日、政府は突然、「預金封鎖」を発表。

渋沢蔵相(当時)
「すべて封鎖預金、全面的に封鎖することとした。」
物資や食料が極度に不足し、猛烈なインフレが起きていた終戦直後の日本。
食料を買えず、困窮する人もあとを絶ちませんでした。こうした中で預金封鎖を決断した政府。 流通するお金の量を強制的に減らし、インフレを抑えることがねらいでした。

当時、母と姉の3人で暮らしていた林さん。およそ3万円あった家の預金が、自由に引き出せなくなり、ただでさえ高い食料が、さらに手に入りにくくなったと言います。

預金封鎖を経験 林直道さん(91)
「もう片っ端から買えなかった。 堤防に変な草がいっぱい生えている。もいできて、ゆがいて、あく抜きして、それをごくわずかのご飯のおかゆの中に入れて食った。
とにかくみんな困っておりました。」

インフレ対策として断行された預金封鎖
しかし、当時非公開とされた閣僚や官僚の証言記録を検証すると、預金封鎖には、インフレ対策とは別にもう1つの狙いがあったことが明らかになってきました。

核心:“預金封鎖”の真実

(2)終戦翌年の預金封鎖 もうひとつの目的とは

今回、情報公開請求で入手した証言記録です。
時の大蔵大臣渋沢敬三(しぶさわ・けいぞう)氏は、大蔵官僚だった福田赳夫(ふくだ・たけお)氏の問いに対し、預金封鎖に込めたもう1つの狙いを吐露していました。

大蔵官僚(当時) 福田赳夫氏の証言
“通貨の封鎖は、大臣のお考えでは、インフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか?”

蔵相(当時) 渋沢敬三氏の証言
“いや、そうではない。 財産税の必要から来たんだ。まったく財産税を課税する必要からだった。”
渋沢大臣が語った「財産税」。
それは、戦争で重ねた借金の返済を国民に負わせる極めて異例の措置でした。

戦時中のポスターです。“国債を買って戦線へ弾丸を送りましょう”。
政府はそう呼びかけ、国債を大量に発行しました。

当時、国の債務残高は国民総生産の2倍を超える規模にまで膨らみ、財政は危機的状況に瀕していました。
政府は、借金返済の原資を確保しようと、国民が持つ預金や不動産など10万円を超える資産に最高90%の財産税を課税することを決定。
預金封鎖には、財産税をかけるため国民の資産を把握する、そうした狙いもあったのです。
大蔵官僚の証言記録からは、財政再建のためには国民負担もやむを得ないという当時の空気が伺えます。


大蔵官僚(当時)の証言“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ。 取るものは取る。うんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す。”

さらに、戦時中を思わせるような言葉も記されています。

大蔵官僚(当時)の証言“『一億戦死』という言葉がある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか。”

東京・北区にある旧古河庭園も財産税で国に徴収された資産の1つです。
申告された財産税の税額は、国全体でおよそ400億円に上りました。
終戦直後の経済の混乱を抑えようと打ち出された預金封鎖
しかし、当初狙ったインフレ対策の効果も一時的で、物価上昇は収まらず、2年後に封鎖が解かれた時、預金の価値は大きく目減りしていました。
預金封鎖と財産税を決めた渋沢氏は、後にNHKの番組で次のように振り返っています。

元蔵相 渋沢敬三氏 「申し訳ないと思う。 国民に対してこんな申し訳ないことはない。 私は焼き打ち受けると思った。それくらい覚悟した。」

(3)終戦翌年の預金封鎖 現代への教訓は

預金封鎖から69年。 国民の負担のもと、いったん改善した財政はバブル崩壊後、再び悪化の一途をたどりました。
国の借金は、今年度末に1,100兆円を超え、GDP・国内総生産の2倍を超える規模にまで膨らむ見込みです。
専門家は、当時と今では状況が大きく異なるものの、財政の悪化を見過ごしてはならないと警鐘を鳴らします。

日本総合研究所 調査部 河村小百合上席主任研究員
国として負った借金っていうのは、国民の借金なんだと。うまくまわっているうちはいいが、うまくまわらないことが万が一起こると、そのツケは間違いなく国民にふりかかってくる。この厳しい財政状況をきちんと国全体として受け止めて、じゃあどうやってやっていったらいいのか、やっぱり借金を負っているんだという事実をきちんと認識していかなければいけない。」

預金封鎖” 現代への教訓は

大越
「『預金封鎖』そして『財産税』と、今ではちょっと考えにくい、ある意味手荒な措置ですけれども、今の日本と当時とを安易に重ね合わせるわけにはいかないけれども、ただ、日本の財政は今、先進国で最悪の水準まで悪化していますので、終戦直後に起きた“歴史上の出来事”と片付けてはならない問題だとも言えます。
財政健全化は常に肝に銘じなければならない問題です。
政府は、夏までに今後5年間の財政健全化計画を策定することにしています

財政の再建が大変なのに、憲法の改正や地方創生ではないのでは、借金からの脱却のほうがなりより先なのに、投資にお金を使うそのために借金、まるで自転車操業の金融業者みたいなもので、ひとつ使用を失うと例えば国債が格付けが最低になれば、財政崩壊である。すべての信用経済でできてるいま、国債が紙きれになるということである。国としては国債をチャラにすることで財政を再建を以前はいたもである。同じようなはないと信じたいが、政府がいまやっていることも、国民の声をきいていないところも怖いところである。