安部政権は「嘘」は嘘のうちに潰さなけらばならない

安倍政権による安保法制。これだけ明確に憲法に反する立法措置を認めてしまうと、次に、自衛隊に具体的行動をとらせる際には、全く歯止めが効かなくなる。だからこそ、一連の法案は阻止しなければならない。「嘘」は嘘のうちに潰さなけらばならない。「嘘」が「既成事実」になった後は、坂を転げ落ちるように武力行使に加担していく。アメリカが、中東で自分から火事を消火したことはない。放火したことはあるが。火事を消そうと頑張ってる米国を日本が見捨てていいのか?という議論は、米国が放火魔になったときにも、あれは放火でなく消火だと言い張る「嘘で国民を騙すことになるイラク戦争を見よ。(内藤正典Twitter 2015年6月10日

2015.01.26 藤原新也さんの「生け贄(いけにえ)の論理。」を読む
藤原新也さん(作家・写真家)のよき読者であれば、とっくに気づいていてよいはずのものでしたが、私は藤原さんの初期からの読者であるにもかかわらず思いも及ばなかった視点です。ひとつは私がなんだかんだと言いながらもやはり平和ボケした日本人のひとりにすぎなかったということがあるでしょう。もうひとつは藤原さんと私の「経験」の差というのがやはり大きい。私は藤原さんのアジア、中東放浪記を読む立場の人間でしかありませんでした。しかし、藤原さんは、実際にアジアや中東を歩き、その旅で考えたこと、考えあぐねたことを本にし、写真にしてきた人です。いまさらながらにその差の大きさに気づかされました。「旅に病て夢ハ枯野をかけ廻る」(芭蕉)ということの意味(意味などと、と芭蕉翁からは笑われるでしょうが)を改めて思っています。しかし、いまは、なにをさておいても「中東」という地への記者の旅の人の命の問題が重要です。「日本人カースト」制度に強い憤りがこみあげてきます。
 
 
これは長期にわたって特に第三世界における旅をすればよくわかることだが、海外における日本人にはカースト制度が存在すると私は思っている。
 
この海外における“日本人カースト”の頂点に立つのは大使館や領事館に勤める外交官である。
次のカーストは企業などに勤める海外駐在員。
次のカーストは旅行業者によって斡旋された日本市民としての身元の明らかな旅行者。
そして最下位のカーストは日本人でありながらどこの馬の骨とも知れない単独旅行者ということになる。
 
この単独旅行者はフリーのジャーナリストも入る。
海外においてこのフリーのジャーナリスト(後藤さんのように小さな通信社に属する者も含めて)のアイデンティティというものは大変不確定で、名の知れたメディアからの記者証でもないかぎり、外交官や企業の海外駐在員など上位カースト者からほぼ得体の知れない日本人と見なされる。
 
そういう意味では今回イスラム国の人質となった後藤健二さんと湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属すると言えるだろう。
 
 
日本政府が早くからこの二人がイスラム国によって拘束されていることを知りながら、放置していたのは彼らが海外日本人カースト制度の最下位に属する“得体の知れない日本人”だからと言ってもよいだろう。
 
かりにこれが大手の企業の一社員となるとそれは日本人アイデンティティに抵触することになり、日本政府は慌てて動くはずだ。
かつて三井物産の若王子信行さんがフィリピン新人民軍に誘拐拘束されたおり、官民一体となって当時のドルレートに換算して22億円が支払われた救出劇、あるいはアルジェリアにおける日揮社員拘束(のち殺害)時の日本政府の敏速な動き記憶に新しい。
 
だが今回の場合、湯川遙菜さんに関しては一年前からイスラム国に拘束されていることがわかっており、後藤健二さんに関してはイスラム国は昨年の11月から人質と引き代えの身代金を要求していたが政府はこれを完全に放置。
 
ところが今回安倍首相の中東訪問での演説直後にイスラム国による二人の人質の殺害予告がYouTubeで全世界に発信されるや、イスラエル国旗の前で安倍首相はとつぜん“強い怒りを覚え”日本人の命の重みに言及しはじめる。
 
「このように人命を盾にとって脅迫することは許しがたいテロ行為であり、強い憤りを覚えます。ふたりの日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求します。政府全体として人命尊重の観点から対応に万全を期すよう指示したところです。」
 
いままでの二人の日本人の命の放置は一体何だったかと疑わせるほど「許しがたい」「強い憤りを覚える」「解放するよう強く要求する」「人命尊重」「万全を期す」と最大の形容句を使って日本人の人命に関与している姿勢を示しているわけだ。
 
こういった人命の二重基準はとりもなおさず、今回の二人が海外日本人カースト制度の最下位に属する者だからである。
 
そしてさらに今回問題にすべきは、こういった人命の二重基準を越えた官邸(安倍首相)冷酷性である。
 
安倍首相はこの殺害映像が出た直後、アメリカの大統領オバマとキャメロンと電話会談をし、彼らからの哀悼のメッセージを受けると同時にあわせてテロとの闘いの確認を仕合っている。
とうぜんこの電話の実際の様子を私たちは知ることは出来ないが、そこには互いにある種の屈折した高揚感があったのではないかと想像する。
つまりアメリカもイギリスもイスラム国によって同様の方法によって国民を殺害されている。
そして今まさにこの東洋の国日本もまた“テロとの戦いの元”(実際には戦っていないのだが)同様の人的損失を被った。
それを報告し、また報告される、この電話のやりとり、あるいは“伝令”には同情を越えた“共感”の感情交換がなされたはずである。
つまりこの一瞬、彼ら(アメリカ・イギリス)同様“犠牲者”を出した日本は「有志連合の一員」として認証されたということである。
 
つまり、であるとするなら、湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属する者というより、その連合に加入するために有志連合の先駆者(胴元)の前に差し出された“生け贄(いけにえ)”あるいは“貢ぎ物(みつぎもの)”ということになる。
 
それも自らの手を汚すことなく、他の人間(イスラム国)の手を汚すことよって差し出された生け贄である。
 
つまり彼(湯川遙菜)の死は犬死にではなく誰よりも日本政府に貢献したのだ。
どこの馬の骨とも知れぬ最下位カースト日本人は生け贄となったことによって国際政治力学の中においてその身体は一定の価値を生み出したのである。
 
その価値がいかほどのものか。
つまりこの“有志連合加入金”はひょっとするとイスラム国が彼の身体につけた200億をはるかに越えるはずである。
 
 
昭和45年。
あの赤軍派のハイジャック事件の時、福田赳夫は「人間の命は地球より重い」というを吐き、犯人の要求を飲み、人質を解放した。
 
人間存在の原理からするなら福田の言葉はすいぶんのどかな迷言だったと個人的には思う。
 
だが、あのなつかしい昭和の当時、日本人を西洋人に生け贄として差し出す平成時代の冷血と卑屈とは一線を画し、日本国首長たる者、日本国民を愛する、人の血の通った時代があったということでもある。