韓国のバス事故の背景には規制緩和があるのではないか。

韓国社会の今の様子は中国や日本の国内問題に通ずるものがあると思う。まず、韓国社会で起こっている問題は、利益優先のために様々事故・事件がおきているとことを認識しなければならない。誰が利益を享受しているのかが問題で、一部の権力を握るものや経営者や上層部の人間が豊かになるのではだめである。利益を享受するために、安全が犠牲になることは絶対に認められないことである。韓国のバス火災でいうと、運転手に責任を押し付けることは問題であり、危険を軽減することを無視して作られてた安価なバスを購入した会社、さらに安価にするために安全を無視した構造でバスを作った会社にも問題がある。ここに安ければいい、人命軽視の製品をつくり、販売すること自体もんだいであり、この安全を守る立場にある、政府機関がこれをきちんと検査できないことやもしかしたら規格や規制を緩和したり、違法性を黙認することがあったら大変なことである。こうなれ国ぐるみで違法なことをしていることと同じである。

 簡単にいうと、利益を上げるためには犠牲はつきもので、それを個人に押し付けるような仕組みこそもんだいなのである。そのようになった背景から考えていかなければならない。これはこのような循環がある。経済がよくない、安いものを買いたい、安いものを作る、そのためには数でこなす。それには多くの時間がかかり、労働時間が長くなる、賃金は低賃にしなければ利益があがらない。それでも貰う賃金は多くならない。しかし、そのよな中でも一部の経営者は多くの利益を得ている。それは国と結びついた仕事している企業で、政党に多額の献金をして利益を上げ、あげた利益を政党に戻すことで企業と政党が持ちつもたれつの関係になっている。こうなればより大きな利益を上げている財閥系企業はますます力をもつ、国際競争力をもてるように、さらに企業は一国のなかで独占的な状態になる。そのたまには、自由競争を促すための規制を緩和して、より独占的経営を可能にするのである。また、安全を担保する規則・規制さえ緩和して

自由なようで、安全を無視したものやサービスが提供されるようになってしまっている。サムスンスマホの発火問題も、この辺来ているのではないかと思います。韓国でも高い所得を得るたまには、有名企業に入社しなければならず、そこに入社するためには有名大学へ、そのために有名校に小さいころから入れる。受験競争が激しい状況になっているのだ。

 この仕組みがひとつ間違うと大変なことになる。国の利益のためには個人が犠牲になってもかまわない。粗悪なもの、安全に欠けたものやサービスが出回ることになる。問題が起こらなければ黙認して、ひとつことが起きると責任を一人になすりつける。責任の擦り合いになる。これが起こる社会は民主主義が危険な状態にあると考えてよい。

韓国の話としてしてきましたが、これは日本の社会もまったく同じです。体裁はいいものの日本の社会にはもっと陰湿なものもある。労働者に対する法律はみんなざる法で、中小企業では守られていなのが当たり前で、書類上整えられたりしていることもある。これら氷山の一角である。

 東京都の市場移転問題やオリンピック施設の建設問題も、東京都と大企業の癒着、さらには東京都議会と企業の問題がこのうらにあるのではないか。故に責任者がわかっているのに、表に出てこれない理由はそこに闇の部分があるのだと思う。